#0109

 




旅の途中の部屋に、心地よい音量で流れてくる。

不思議な楽曲、ハーレムビーチ。

旅を続けている男の、運命に導かれた物語。

異国の絵描きの、奏でられたことのないような、美しい青色の旋律。

その真夏の沖縄にいることは、君にとっての真実が近づいてきたということ。


それは、一度は捨てたものを、拾い集める旅になる。

君はセブンスターのもとへ、しっかりと戻らなくてはならない。

那覇にいる高校時代の友人と再会しなくてはならない。


どこで26歳の誕生日を迎えようと、真実はちゃんとついてくる。

君が誕生したその土地で、真実の音楽は、生きる鼓動となっていく。



Ogawa Kaya Music

rec. 001 / Bar Belly Flop[新潟]


#0109-03-09 /  Blue

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#0166

 




沖縄にいる君へ。

その曲が聞こえ始めたら、

君の産まれたその街で、これからの旅が始まるだろう。

旅人らしい旅人に出会えたら、君にはすべてが起こるだろう。

それくらいの旅で満足してたら、終わりだぜ。



Ogawa Kaya Music

rec. 002 / Bar Belly Flop [新潟]


#0166-03-09 /  Harlem Beach

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#0204

 




Ogawa Kaya Music

rec. 003 / Bar Belly Flop [新潟]


#0204-03-09 /  One and Only

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#0232

 





スライドギターの叫びが、奥でどうしても止まない。

彼の音楽にある静寂の中、ギター弾きの老人が囁く。


あまり知りたくはないんだろう?、そのままの君でいたいんだろう?


突きつけられた、どうしても真実だらけの音楽。

ちゃんと、届いてしまったんだ。




Ogawa Kaya Music

rec. 004 / Bar Cozy [東北沢]


#0232-03-09 /  Old man the Guitarist 

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#0245









これぞ正真正銘の音楽。
驚くことに、日本の若きギタリストがアメリカ南部のブルースの伝統を追求して
いる事実。NEW ORLEANS、LONDON、AMSTERDAM、日本の沖縄等、世界各
地で演奏していた経験が染みでている。
彼のサウンドを聞くと、音に対する真摯な姿勢と仕事に納得させられる。
心から伝えられるアコースティックの独特なスタイルはDELTA BLUESの伝説と、
その後のRY COODERの音と時が重なる。強烈なブルースチューン“GUERNICA”
から、もの悲しい静寂さに満ちた“Okinawan Butterfly”まで、KAYAは、心に残
る深みのある空間をつくりあげる。
実に力強いデビューである。

“メトロポリス誌” 

by Dan Grunebaum




Ogawa Kaya Music

rec. 005 / Live Bar Mardi gras [自由が丘]


#0245-03-10 /  Shrove Tuesday 

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#0278






Ogawa Kaya Music

rec. 006 / Blue Moon[葉山]


#0278-04-08 /  A man of summer 

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#0374

 




Ogawa Kaya Music

rec. 007 / Bar Cozy[東北沢]


#0374-03-10 /  Two Mans For Music

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#0393






沖縄で再会したダイスケの結婚パーティーで茅ヶ崎にいく。

僕はそこで演奏することになっているギタリスト、カヤさんの運転する車で会場
に向かっている。カヤさんは僕らの歳の頃は海外や沖縄なんかで演奏していた人
だが、僕とダイスケと同じで、神奈川で育った人だった。

03年の夏、ダイスケと那覇で再会した時、彼の存在を知った。すぐに勧められ
たカヤさんのライブツアーへ足を運び、僕はまず生まれ故郷である新潟でカヤさ
んの演奏を聴いた。
聴いてしまったと言った方がよいだろう。それはおそらくビートルズのライブを
生でこの時代に味わうような感覚だったのだろう。

それからは、彼がどこかで演奏するものなら、僕は感度の高いフィルムを買い込
んで、ずっとついてまわらせてもらった。こんなにすごい演奏をしているギタリ
ストは、少なくとも今の日本にいるはずがない、と感じるものだった。
僕は今までボーカルのない音楽を聴くことになれていなかった。けど音楽の本質
というものはきっとここにあるのだと、彼の演奏を聴くにつれ、つくづく思うよ
うになった。
最初にダイスケの部屋で音源を聴いた時に予感したように、ギタリストKAYA に
とことん夢中になり、これからのすべてである、といっていいような決意はすで
に固まり始めていた。写真家として初めて、その存在を残していかなければなら
ないと、唯一感じた人といえた。
カヤさんの人柄も、僕の知っているアーティストと名乗る人たちのそれと比べれ
ば極めてまれといえた。自分を本気で応援してくれる人のために向けられる真剣
な誠意ときたら、まっさきに見習うべき点だった。

カヤさんは、自分の音楽を誰よりも早く理解してくれたダイスケの結婚を喜ばし
いと車の中で讃えていた。愛するべき人がいるのは素晴らしい事なんだ。一方、
自分たちなんてやはり駄目だめなんですよ、ゆうすけ、オマエは特にそうだ、と
何度も強調した。実際その通りだから、何も言えなかった。

途中で僕とカヤさんは寒川神社に寄ろうとしたので、ダイスケのパーティーはす
でに始まっていた。カヤさんは本物のロックンロールを体現しているような人間
だから、いまいち華やかな会場に向かう足取りも重く、ぐずぐずしていたらそう
なった。
カヤさんから見れば、僕とダイスケのいた湘南高校というところは、まさに彼と
対極にある世界で、スーツをばっちり着て安全な会社に就職している人らがにこ
やかに集まる会場で演奏するなんて、彼にとってはすこぶる具合がわるいことな
のだ。職業的な演奏ができない彼に似合う場所も、この日本にはあまりないとい
えた。
それに僕たち2人には、祝儀すら払えない懐事情もあって、車の中では途中で何
度も引き返そうかという会話になった。少なくとも僕たちは世の中の人にあたり
まえにある価値観に手が届かない人生を送っていた。カヤさんはファッションの
センスは誰よりもあるが、僕なんかはスーツすら持ってなくて、今着ているのは
袖がボロボロのドイツ軍のアーミージャケットだった。

パーティー会場の飲食店近くにようやく着くと、カヤさんは店のある反対車線に
わざわざ迂回し停車して、窓から会場の華やかな様子を遠目で見るなり僕に言う。

だめだ!、ゆうすけ、やっぱり帰るぞ!

僕も僕ですでに過去なんて捨てていたから、湘南高校の人たちにはダイスケ以外
もう会いたくない気分でいっぱいだった。しかしふたりのためにはなんとしても
カヤさんに演奏をしてもらうしかないだろう。
名曲であるBLUE、そして名カバー曲のHEY JUDE 、僕も聴きたいのだ。

会場に着くなり、僕はなるべく同級生の顔は見ないようにして、あくまでカヤさ
んの荷物運びですという態度を崩さなかった。湘南時代の野球部員たちは久しぶ
りに登場した懐かしい顔にどよめいた気がしたけど、僕はカヤさんのセッティン
グをいつもどおりにひたむきに手伝った。

それは、西日が綺麗に差し込む2月の夕方、本当にふたりのための演奏だった。
黄色の着物姿の彼女が美しく照らされ、その旋律はおそらくふたりだけでなく、
会場の誰をも染めたことだろう。
ふたりがこれから住み始める沖縄へ、僕が向かう日も遠くない日にあるのだろう、
カヤさんの演奏を聴いているふたりの横顔を見てそう思う。
カヤさんだって長く沖縄で演奏を続けた日々がある。僕も彼やダイスケと同じよ
うに沖縄で暮らすことを現実のものにしようと思っているらしい。今はチラシ配
りやラブホテルのバイトなんかしているけど、今年からは写真の仕事もやるよう
な気がする。僕の写真人生は彼の音楽によって、様々な形で動き始めているんだ。
僕はまだまだ彼のようなタフさを知らないで生きている。今年の夏も彼のツアー
にできるだけついていって、彼の魂をどんどん吸収していこうと思う。

今年のツアーのためにカヤさんが買った大きなワゴン車。これから彼らにどんな
旅が待っているだろう。
ハンドルはいつも、ギター弾きの大きな両手で握られる。
助手席から見えるのは、いつもの湘南海岸だった。


#0393-04-02 /  Going to Shonan district

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#0399





Ogawa Kaya Music

rec. 008 / IN THE chips[茅ヶ崎]


#0399-04-02 /  For DS

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#0412









Ogawa Kaya Music

rec. 009 / Live Bar Mardi Gras[自由が丘]


#0412-03-10 /  Black Bird

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#0482

 







Ogawa Kaya Music

rec. 010 / Cafe John John[横浜]


#0482-03-10 /  The Place Of Origin

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#0635





Ogawa Kaya the Guitarist 

01 


Diary #020(2004)

僕がギタリストKAYAに出会ったのは、去年の9月26日。
2003年のサマーツアー「BLUE」の終盤に入る頃だった。

26歳の誕生日を迎えた沖縄での暑かった夏。そこに移住していた湘南高校時代
の仲間、ダイスケを訪ねた時に、彼からその音源を聴かされ、僕はひょっとして、
これを聴くために沖縄まで来たんじゃないかと思った。

カヤさんは7月末に那覇からツアーを始め、九州から中国地方、関西、中部、そ
して新潟でライブをやった後、東京、神奈川までやってくると、ダイスケから渡
されたフライヤーに書いてある。

僕は一緒に沖縄に来ていたセブンスターと東京に戻ってから、すぐに彼の音源を
手に入れようとした。新宿や渋谷のレコード店を探したが見つからず、店の人に
調べてもらったら、既に廃盤になっていた。
ダイスケの話だとカヤさんのサイトから購入もできるらしい。けどそれは僕の望
むところではなかった。一刻も早く聴きたい欲求もあったが、自分の足を使い直
接手に入れないことには、その音楽に対して失礼であると感じたほど、彼の音楽
は、僕の心に何かを訴えていた。

僕は沖縄で仕事中だろうダイスケに何度も電話した。まてよ、よくライブをして
いた横浜のバーなら置いてあるかもしれないな。
僕はすぐその店に電話をかけて、住所と番地とだいたいの場所と何時まで開いて
いるかを聞いた(06年になるまで、僕は電話メールもできず、07年になるま
でパソコンのない生活を送っている)。
ギタリストのカヤさんの CD、置いてますか?、ともその時に普通は聞くだろう
けど、僕はあえてそれを聞かない性格なんだ。核心に近づいていく時間は、でき
るだけ長く苦労して楽しんだ方がよい、そんなことを思っていた気がする。
僕はすぐに支度をすませて、もう玄関で茶色のアディダスの靴を履いた。そして
東村山のアパートを出て、横浜へ向かった。



rec. 011 / Foodmarket Foodelic[新潟]


#0635-03-09 /  Chimes of Slide Guitar

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#0637





Ogawa Kaya the Guitarist 

02 


横浜の Cafe John John に着く。

ダイスケからその店のことを教わった時、彼は言っていた。狭いとこだからね、
びっくりしないでよ。

演奏する場所を考えて、客が10人ほど集まればもういっぱい。ここでミュージ
シャンがライブってどういうことなんだろう、まずはそれを考えなくてはならな
かった。しかし席に座ると、そこはやはり、僕の好きな音楽の匂いがした。

初老のマスターはカウンターの中で退屈そうに煙を吐き出しながら、天井近くに
ある小さなモニターでリンゴ・スターのライブビデオを見ていた。もちろんこん
な店名なんだから、他のメンバーのものは全て見尽くしている、というオーラが
放たれていた。ママさんは愛嬌たっぷりに、通りに面したカウンターで通りかか
る人たちにテイクアウトのホットドッグを売っていた。

平日の夕方前のせいか、店内に客は僕だけしかいなかった。ラム・コーヒーを頼
んで、壁いっぱいに貼られたロックスターたちのポスターなどを眺めていると、
入り口近くのところに、カヤさんのツアーフライヤーが丁寧に貼られてあるのを
見つけた。

BLUE / 2003 Summer tour / Guitarist KAYA

美しい青、大事そうにアコースティックギターを抱えた女性の絵。これはカンバ
ス生地に描かれたもののようだ。ペイントのクレジットには、Artist PONZIとあ
る。僕はダイスケの部屋でカヤさんの音楽同様、そのフライヤーの絵にもかなり
やられていた。こんなに美しい絵は、美大に6年間通っていてもとても見れない
代物だった。話に聞いたカヤさんとのライブ・ペインティングで産まれたものな
のだろう。
ラム・コーヒーがママさんによって運ばれてきた時、僕はいよいよ本当の意味で
の注文をした。ママさんはとにかくびっくりしていた。たぶん僕みたいな人はあ
まりいないのだ。僕が心から求めるものは、大抵こういう場所に静かに潜んでい
るものなのだ。

カヤさんのファーストアルバムが2枚、僕がダイスケの部屋で聴かせてもらった
自主制作盤も、残り1枚だけあった。
いつもそうなんだけど、ここまで来たことによる電車代、そしてこのラム・コー
ヒーよって、僕はもうその2枚を買ってしまったら、事実として破産が目前であ
ることを充分に把握していた。
それでも僕は、両方ください、と興奮しながら言った。
ねえ!、カヤさんのファンの方が来られたのよ。ママさんが初老のマスターに嬉
しそうに告げると、彼の眼が、一瞬だけ輝いたように見えた。

夏の終わり。フライヤーによるとカヤさんは今頃、西日本を回っているだろう。
そしてこの狭い店にツアーでやってくるのは、まだしばらく先の10月だ。
その時にまた必ず来ます、僕はふたりにそう言って、それらを大切に抱えて電車
に乗り込み、脇目もふらずアパートのある東村山に戻った。


rec. 012 / Cafe John John[横浜]


#0637-03-10 /  Give Me Some Truth

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#0639





Ogawa Kaya the Guitarist 

03 


2003年9月末、破産しかけた僕はバイトの給料袋を受け取って、その足です
ぐに新潟に向かった。

あれから手に入れたカヤさんのCDをずっと聴いていて、彼が地方から関東に戻っ
てくるのを待てなかったんだ。
ツアーフライヤーを見てライブ会場に予約を入れて、その前日に新潟市にいる毋
方のおばさんの家に泊まらせてもらうことにした。以前北海道の小樽へ新潟から
向かった時もお世話になった。

待ちに待ったライブ当日の夕方前に、僕は自転車を借りてその会場に到着。新潟
では有名な古町だ。子供の頃に親に連れられて歩いた記憶がある。店の前にはや
たらおんぼろの車が停められていた。もちろん駐車違反だ。たぶんこれがカヤさ
んの車だろう。彼はこれで沖縄から九州、中国、関西、中部を回ってきたのだ。
そう頷けるような、ただならぬ雰囲気がそこにはあった。

ライブ開演はまだ何時間も先だった。僕ははやる気持ちをどうにもおさえられな
かったのだ。店で軽く食事をとり、お店の人に今日の日のために東京から来たと
言うと、とても驚かれた。それで2階でもうすぐリハーサルを終えようとしてい
たカヤさんに声をかけてくれることになり、ちょっと待ってて下さいね、と言わ
れた。
僕にとっては世紀の瞬間だった。彼はまさに僕の初めてのヒーローになる人で、
これからの道標となる人。緊張した時にカメラを力強く握るくせ。僕はどきどき
しながら階段を見つめた。僕はこうして勢いよく行動は取れるものの、人に対し
てはとにかくめっぽうシャイなのだ。
カヤさんは店長に連れられて、あの帽子姿で階段から降りてきた。そしてきさく
に僕に話しかけてくれた。表に停めた車が気がかりだったみたいで、駐車場に回
してきた後、僕の目の前に座って、コーラをお店の人に頼んだ。

僕はまず、ダイスケと一緒の高校の野球部だったこと、そして沖縄で彼に再会し
た時、カヤさんの音楽を知ったこと、横浜の店で CDを買ったこと。そして僕は
写真を撮っていることを勢いよく説明した。
彼はとにかく僕がここまで来てくれたことを感謝してくれた。想像したとおり、
そのギター1本の音楽のとおりとてもカッコいい人で、僕はまるで女性のように
煙草を吸う彼の手を観察したのだ。
僕はライブの時に写真を撮っていいですかと聞いて、彼は快く承諾してくれた。
ライブは夜だから、店を出る前にまさに今出逢った記念にと、彼の写真を2枚だ
け撮らせてもらった。

僕はとても緊張していて、後で見たら見事にピンボケの写真だった。その時は、
彼もどうやらとてもシャイな人のような気がどことなくしたな。

その時の僕はまだ、彼の本当の凄さを知らない。その日の夜のことはもう一生忘
れることはできないだろう。ライブの写真なんか撮っている場合ではない展開が
見事に待っていたから。
僕の生まれたその街で、それほど彼のギターの叫びは、今までの僕の全てを打ち
のめそうとしていた。


rec. 013 /  Furumachi, Niigata



#0639-03-09 /  The Furumachi Street

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#0721

 







カヤさんの音楽に出会ったのは、沖縄を旅していた頃のこと。

このアルバムに収められた曲の半分以上は、彼自身が沖縄にいた頃に作ら
たものでもある。僕が彼の音楽にのめり込んだのは、その時の自分が沖縄へ
を映していたからでもあった。彼のライブを聴いてしまってからは、まっ
たく違う世界が開けてしまったのだけど。

3曲目アトランティックから、ハーレム・ビーチ、バタフライ、ジュリエッ
ト、美しく自然な流れの中で、彼の物語は実に激しく姿を表す。
僕が当時、最初にピンときたのはハーレム・ビーチだった。あとから彼の
解説で知ったが、アバウトながらその不思議な凝縮感を今も何度も楽しむこ
とができる、とても奇跡的な曲だと思う。

このアルバムには残念ながら収められなかった、沖縄の天気雨を表現した、
かたぶい、ライブで最後の曲として多く演奏された  Gaia(ガイア)、それ
らもギタリストKAYAを語る上では欠かせない曲だった。

彼が曲に託した想い等は、カヤさんのサイト内ブログ  Who is OK ? にて
楽同様、生々しく語られている。
近いうちにこの写真は写真でも、僕が若干校正させて頂いた文章と写真で、
全曲紹介できればな、とは思っている。


Ogawa Kaya Music

rec. 014 /  Murdi Gras [自由が丘]


#0721-03-10 /  Cradle

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#0732



 

Ogawa Kaya The Guitarist

Open the Door  


01  Guernica



沖縄に辿り着いた時、俺は随分と気が楽になっていた。

おそらく旅の力がそうさせたのだろう。どっちみちこれからは1人でやっていか

なくちゃならない。


さっそく国際通りへ繰り出してバスキングを始めた。だけど今まで旅した海外と

は全く違う反応に戸惑ってしまった。何しろ誰一人として、立ち止まって聴いて

くれる人がいなかった。いつやろうと結果は同じ。金なんかビタ一文稼げなかっ

たさ。

それで、仕方なく松山というエリアの盛り場で、酔っ払いを相手に演奏すること

にしたんだ。若い客引きとホステスの集団からは、ゴミでも見るような目つきで

見られ、立ち止まる人間には「ゆず」や「長渕剛」の曲をせがまれる体たらく。

それでも俺は、自分の奏でる音楽を信じていたから、目の前には美しい人たちが

いて、抱き合ったり笑ったりなんかしている姿を想像していた。


ある晩、いつものようにギターを弾いていると4、5人のチンピラに絡まれた。

そしてどうしてか大衆の面前で集団リンチさ。そりゃあもう酷いもんだったぜ。

周りにいた客引き共は「ざまあみやがれ!」ってな顔をしてるし、当然止めに入

る人間なんているわけがなかったしな。俺は負け犬のように、その場を立ち去る

しかなかった。

宿に帰る途中の公園で、俺はあまりの惨めさに動けなくなってしまった。そして

今まで感じたことのない怒りの中で、ある光景をはっきりと感じた。


機関銃の音や生肉の焦げる臭い、そして切り取られた「ゲルニカ」の断片と、あ

るギターリフと旋律が、完全に頭の中を支配した。俺にはこんな風に音楽が出来

上がっていくのを経験したことがなかった。


ピカソの「ゲルニカ」は反戦の意味を込めた、ある意味「平和」につながる作品

だった。彼の作品の名を借りているけれど、込められたメッセージはまるで別物

だろう。俺のは「怒り」だけ。そこには思想も未来も何も無い。ただのクソに塗

れた現実だけさ。こんなものは、もう音楽とは呼べないかもしれないな。


この曲を好きっていう人が、どれほどいるかは俺には分からない。まあ、いない

方が良い気もするけどな。でも俺は自分の創り上げた音楽の中で一番誇りを持っ

ている。

愛だ、平和だ、オール・イズ・ワンだ!、などと抜かしながら、考えているのは

実は金と保身ばかりのインチキ野郎を、俺はたくさん見てきたからな。

俺が作ってきたのは「ヘイト&ウォー」だったかもしれないが、少なくとも俺の

音楽は正直だ。


text:kaya 


小川榎也 New Album



#0732-03-10 /  Guernica

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#0737

 

 

Ogawa Kaya The Guitarist

Open the Door  


02  Redwind from San Diego



俺が初めて海外を訪れたのは1997年。もうずいぶん前のことだ。


その頃はギタリストになるなんて夢にも思っていなくて、その年に調理師学校を

卒業した記念に、1人で旅をしようと思い立ったのさ。


もちろん音楽はティーンエイジャーの頃から好きだったけど、才能があるだなん

て全く思っていなくて、調理学校に入る前はずっと長距離トラックの運転手をし

ていた。

そこにあんまり自分自身の未来を感じられなくなって進んだ料理の道。将来は自

分で小さな店でも持ちたいな、なんて思って、最初で最後の旅のつもりでアメリ

カに卒業旅行に出たわけだ。もうその当時は27歳だったしね。


俺は当時まったく英語がしゃべれず、今思うとかなり無謀な旅だった。そして最

初の関門はニューオリンズでやってきた!

何しろマクドナルドの注文さえできなかったんだから(笑)


仕方なくバックパッカーズにあった自動販売機のM&Mチョコレートで、最初の

3、4日は飢えをしのいでいたんだけど、体に変なぶつぶつはできるし、調子は

おかしくなるわで、結構しんどかった記憶がある。


更に悪いことに、ニューオリンズ辺りになると英語の堪能な日本人の旅行者が一

杯なわけ。俺が何か話しかけると「ここはアメリカなんだから日本語なんかしゃ

べるんじゃねえよ」みたいな奴らばっかりでさ。


で、俺の最初のニューオリンズ体験は10日ほどで挫折して、次なる目的地オー

スティンテキサスに向かうわけだ。今思うと挫折した理由も情けないけどな。


アメリカに着いたばかりだというのに、俺はすでに結構ボロボロで、グレイハウ

ンドに乗りながらずっとトム・ウェイツのアルバムを聴いた。「サンディエゴ・

セレナーデ」なんか聴いてたら、今にも泣き出しそうな気持ちになったもんだ。


友達も家族も恋人もいない哀れな男と、かつてこの道を歩いたかもしれない、ラ

イトニン・ホプキンスやブラインド・ウィリー・ジョンスンに思いを馳せたりし

てさ。

この頃はギターなんて全く弾けなかったけど、この時のフィーリングはずっと俺

の中に残ったままだった。自分が惨めで最悪の男だと思っていたよ。


ロックンロールを気取るなら、タフであることが最低条件だっていうのにな。


text:kaya



#0737-04-06 /  The Door

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#0746



 

Ogawa Kaya The Guitarist

Open the Door 

 
03 Atlantic



沖縄での生活は、前途多難だった。


全国でもこんなに沢山ライブ小屋のある地域はそう無いはずだが、何しろ何処へ

訪ねていっても演奏をさせてもらえず参ってしまった。

たまにOKが出れば、チケットのノルマ付きだしな。

そんな風だったから俺は昼間はゲームセンターでバイトして、夜はストリートで

演奏する毎日、そのストレスはかなりのものだった。それで休息の意味を兼ねて、

中部の海まで出かけていくことにしたんだ。


沖縄の海は、信じられないほど美しい。

俺はただ一日中、海辺でぼんやりしていただけだった。そして夕暮れ時に沈む太

陽なんか見てたら、なんだか胸が締め付けられる気がしたものだ。


写真家ならただシャッターを押すだけだろう、絵描きなら気の向くまま筆を走ら

せるはずさ。俺も似たようなものだった。この曲に深い意味なんて何も無い。沈

む夕日に合わせて、メロディーを紡いだだけさ。


沖縄は大西洋ではないね。でもこの曲を創っている時、大好きなデュエインのこ

とを考えていた。彼はただギターを弾いていた。誰よりも凄く。そしてそれは聴

いている俺たちを飛ばしてくれたんだ。

俺もそうなりたいって夢見てた。そんなの無理に決まってるけどな。でも夢見る

ことは勝手だろ?

で、彼のレコードレーベル、天下のアトランティックと沖縄の海をちょいと引っ

掛けてタイトルにしてみたんだ。


このアルバムには、実はデモテープのバージョンが使われているんだよ。曲がま

だ未完成だった頃、スタジオでマイクとテープチェックをしている時にかなりリ

ラックスした状態で録ったんだが、創った当時のフィーリングがそのまま表れて

いる気がしてね。

今でも俺はこのテイクをとても楽しんで聴くことができる。


text:kaya



#0746-03-07 /  Goodbye Ishigaki Island

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#0756

 




Ogawa Kaya Music

rec. 015 /  Bar Jerk [鎌倉]


#0756-04-06 /  Rehearsal

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#0757

 

 

Ogawa Kaya The Guitarist

Open the Door 


04  Harlem Beach



この曲を描いたのは、沖縄に住んでしばらく経ってからだった。


俺は当時、間違った方向に進んでいて、それはある意味最悪だった。自分で気付

いていたことだけが、唯一の救いだったかもしれないが。


俺は音楽で食べていくことや、名声に飢えていて、1年も前ならとても考えられ

ないような行動に出ていたよ。

名刺を作って頭を下げ、力のありそうな人間になら誰にでも愛想笑いを振りまい

た。できるだけ著名なミュージシャンと関係を持ちたがったし、最低のミュージ

シャンの見本のような男だったぜ。くそっ!これを書いている今でも、思い出す

だけで腹が立つ。


ある日知り合いに誘われて渡嘉敷島にグループで遊びに行った時のことだった。

皆、都会の成功者って感じの人たちで、当然俺なんか浮きまくりさ!(笑)

波打ち際でハウスミュージックなんかかけて、皆が楽しそうに踊っている中、わ

たくしオガワといいます、どうぞよろしく、なんて握手を求めたりしてよ。忌野

清志郎風に言えば「○○○○野郎、ギタリストK!」ってとこだろうな。


だけど、そんなことしてたらひどい頭痛がしてきた。おまけ吐き気もだ。

何故って、俺が一番なりたくなかったタイプの人間に、俺自身が成り下がってい

ることに気付いたからさ。


俺はギターを手に取った。そしてその輪を離れて、セルフポートレートを描くこ

とにした。この時の俺はクラウンだったし、金魚の糞だったし、虎の威を借る狐

だったと言っていい。とにかく音楽を創るのに充分な理由を見つけたってわけだ。


この日はちょうど渡嘉敷島の海開きの日で、島の人がエイサーを踊ったり、太鼓

を叩いたりしていた。俺は遠くのリズムに合わせて、メロディーを紡いでいった。

でもそれは、とてもラフでいい加減なものだった。そうする必要があったと言っ

ても良いだろう。


タイトルの由来は、この曲を創ったのが、阿波連ビーチという所だったから。

成功者の宴のハーレムで、ゴミを漁る愚か者のセルフポートレートだ。


text:kaya



#0757-04-03 /  Eisa

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#0772

 



Diary 2004.0630- 

27th Birthday 


1


6月を終え、僕は27歳になる。

5月、国分寺での沖縄写真展は4年振りの個展だった。そこから僕はまた新しく
動き出す。そういえば展示中、小学校からの友達に、ゆうすけは今写真で個展な
んかできるんだから、もっとまわりにいる女の子に対して積極的になれ、と忠告
されて、6月は5人の女の子とデートできた。
でもそんなことより充実したのが、いよいよ始まったギタリストのカヤさんのサ
マーツアーライブだった。6月の彼の準備期間、関東各地のライブを6本、自宅
にも泊まって、一緒について回らせてもらった。
27歳の誕生日は、新聞社に勤めている友達と、食玩の原型師(お菓子に付いて
るフィギャア)の取材の仕事をした。形としてはインタビュアーと撮影、記事ま
でなぜか僕がやることになった。
取材を無事に三軒茶屋で終わらせ、中野にフィルムを出しに行っても、最後の可
能性としてあった気のするデートの電話なんかはかかってこなかったので、僕は
やっぱりカヤさんに電話をかけた。
だからゆうすけはダメなんですよ、じゃあ19時に駅に来なさい。彼は笑いなが
ら言った。

松戸駅のロータリーに、彼の運転するワゴン車が到着する。助手席には絵描きの
ポンジーも乗っていて、笑顔を見せウインクした。

食事に出る前、カヤさんのギター機材は蒸し暑い車内には置きっぱなしにはでき
ず、いったんポンジーのアパートに荷物を運んでから、彼のガールフレンドも加
わり4人で車で街を回った。2、3件あたったけど空席がなく、回転寿司に行く
ことになった。
ポンジーは夢中でエビばかりほうばり、カヤさんは湯のみにお茶の袋を4つも入
れて渋い顔をした。どうやら2つがベストみたいだった。
ポンジーの彼女もつい最近誕生日だったということで、食後に急いで閉店間際の
ダイエーに寄って(カヤさんと過ごす時はたいていドタバタだ)ケーキを選び、
それをふたりが買ってくれた。ポンジーのアパートに戻ってコーヒーをいれても
らい、カヤさんと僕はモンブラン、ポンジーと彼女はいちごのケーキを食べた。

リラックスした時間を過ごしながら、僕たちが連れ添ってキッチンでアメリカン
スピリットの煙草を吸っていると、リビングでノートパソコンを広げた彼女が声
をあげた。えー、なんかおっきい台風きてるって!

マジかよ!、カヤさんは煙草を灰皿に押しつけ、僕とポンジーも続いて画面を覗
き込む。明日の夕方のフェリーは平気だろうか?
ふたりは機材と画材を詰め込んだ車で、有明から福岡に渡るのだ。船の欠航はあ
らゆる意味合いで、彼らの明後日以降から始まる九州ツアーの中止を意味する。
モニター上の白い特大の渦は本州を派手に通過しそうなことくらい、誰が見ても
分かるくらいだった。ねえ、テレビ付けてみる?

いや、考えても仕方ねえべ。カヤさんはそれでも何かを考え始めた。全国ツアー
への大事な出発地点。限られた予算の中で全てをやりくりするのは、いつも彼ひ
とりだった。彼自身、昨年ツアー後に、再び苦労しながらようやく決断した今年
のサマーツアーなのだ。
カヤさんはアメリカン・スピリットをもう1本吸った後、ギターケースのひとつ
を開けてギターを取り出した。いつものようなリハーサルモードだ。ポンジーも
それに合わせるように鉛筆を並べ、ツアーのためのスケッチをする。彼は音楽を
奏で、彼は音楽を描く。僕が思う最高の表現者たちだ。

音楽の神様は、彼らを突き放すことなどしないだろう。今の僕にできることは写
真を撮ることだけだ。デートの約束もいらない。誕生日のプレゼントもいらない。
明日船が出てくれることを願いながら、最高のふたりを撮るだけだ。



#0772-04-07 /  Ariake Brothers

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#0773

 




#0773-04-02 /  Artist Ponzi

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#0774





Diary 2004.0630- 

27th Birthday


2


その夜、ポンジーと僕はジョギングに出た。カヤさんもどうやらひとりで何かを
考えたさそうな雰囲気だったのだ。
大型台風が近づいているだけあって、なかなか蒸し暑い夜だった。簡単に汗を流
すだけかと思ったが、彼の日課だというそれは、取材の仕事を終えてあちこち移
動した後の僕でなくとも、なかなかハードなものだった。僕はビーチサンダルを
履いてきていたので、シューズはポンジーのやたらでかいものだったけど、つい
ていくのが精一杯だった。ラスト・スパートの途中で、僕らはコンビニに寄って
ポカリを買った。

オレがだすんダナ。ユースケは、タンジョービ、だからネ。

ポンジーは日本に来て3年以上。歳は僕と同じ。ボストンのアートスクールを出
てニューヨークでの活動後、日本に拠点を移した。
日本語もうまいし、仕事は英語のレッスン、ディズニーでのパフォーマー、モデ
ルの仕事、そして自分のペイント・アートの仕事も成り立たせている才能の持ち
主で、キャラクターもおもしろい。去年のカヤさんのツアーの時にタッグを組ん
で、その後ライブ・ペインティングをやってきた、カヤさんの認める唯一のパー
トナーだ。

僕らは松戸の団地に囲まれた小さな公園で一息ついた。シャツは肌にへばりつい
て、ポンジーの頭からは玉のような汗が出ていた。僕はもう夕食に食べたマグロ
のアボカド寿司が出てきそうだった。最高の誕生日だよ、なあポンジー。
僕らは走ったばかりでも煙草に火をつけて、そこで色々な話をした。家族やアー
トスクール時代のこと、付き合ってきたガールフレンド、また自分たちの表現に
ついて。そして明日出発するだろう、カヤさんとのサマーツアーについて。

ツアーフライヤーのコピーは、諸刃のアート・ギター、唄うカンバス、だ。

今年の全国ツアーはポンジーもカヤさんとほとんどを車で一緒に回る。今年は沖
縄はやめて、九州から岡山、倉敷、神戸、大阪、名古屋、高岡、新潟、そして東
京に戻ってきて、僕やカヤさんの地元、神奈川へ。

誰に歓迎され呼ばれたわけじゃない、すべてカヤさんが演奏する場所を自分であ
たってきた、本人いわく、流しのどさ回りツアーだ。
演奏し、また長距離を運転し、暑い車中で眠ることもあるだろう。自分たちの作
品を売りながらの、厳しい厳しい2ヶ月だろう。
僕もできることなら、何かの手助けと、写真を撮り続けてみたかった。けど僕に
はまだ最近本格的に始めただろう自分の仕事があった。いつも誰かが読んでる新
聞に自分の取材した記事と写真を載せてもらえるからには、明日の船に乗るわけ
にはいかなかった。もっとも、彼らについて回っても、足でまといになる可能性
だってあるのだけど。

ユースケはコーベからくるんだネ。コーベはカワイーコ、きっとおおいんダナ。

彼らと一緒にいてよく思うことは、世の中にはたくさんの自称アーティストがい
るってことだ。僕はホンモノ、の方にどんどん食らいついていこうと、この27
歳の誕生日に思っている。その腕で、やがて世界を掴む者たちに。

ポンジーは煙草を吸い終えて、ポカリをひとくち飲む。彼は明日からのことをと
てもキンチョウしているネ、と僕にもらした。それはそうだ。なんといっても、
あの人と一緒にパフォーマンスしなけりゃいけないのだから。だってあのライブ
のすごさときたら、並の精神では同じステージには立てない代物なのだろう。
ポンジーはポカリをもうひとくち飲んだ後、また煙草に火をつけた。こういうと
ころは、いかにも、なんだけど、絵筆を握らせたらとにかくスゴいんだよ。
特に、カワイイ女の子がいる前ではね。



#0774-04-06 /  Ponzi shaving his head

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#0775

 



Diary  2004.0701

27th Birthday


3


翌日、カヤさんのワゴン車で、松戸から有明に向かった。
あまりにもいい天気だったので、これで船が出なかったら暴れてやるよ、という
彼らしい道理を作ることで、海運会社に電話をかけることも、台風情報を見るこ
とすらしなかった。

僕は後部座席であらゆる荷物に囲まれながら、流れている音楽に耳を傾けた。カ
ヤさんは編集したトラック集を流していたが、ボブ・マーレーとレッド・ツェッ
ペリンの曲間に彼の最高傑作である曲「ゲルニカ」を挟み込んでいて、それが普
通に流れで聴けてしまうおそろしい事実を僕らに気づかせてくれた。しかしそれ
も、そこに音楽的な正しい基準を持った人が大勢いなくては、彼の表現は理解さ
れるわけがなかった。世の中には、ビートルズの音楽すら必要としていない者た
ちで溢れているのだ。

僕の隣りにある、ギターケース3つ。ポンジーの大小のカンバス、イーゼル、画
材類。ステージ衣装の入ったスーツケース。帽子数種類(家にはもっとある)。
後ろにはカリフォルニア・ブロンドのアンプ。ディストーション類の機材やボト
ルネックの入ったぼろぼろ(味のある)のスーツケース。ライブ・チェアーにギ
ター脚、物販用の簡易テーブル。アルバム「Guernica」のCD。ポンジーの絵画
作品。小物類。そして足下には船の中での食料、ミネラル・ウォーター。さらに
いくらでも吸い込める量のアメリカン・スピリット。この車が彼らのすべてだ。

今回のツアータイトルは、「GEMINI」だ。カヤさんはスライド・ギター1本で
身震いするような激しいロックンロールを演奏する人であるが、一方でどうしよ
うもないほどの悲しい優しさに包まれた曲も、何曲か創っている。僕はその曲を
演奏される度に、何度も人の眼など気にもせず大量の涙を流した。その「ジェミ
ナイ」という曲は、僕などには分からないような、単純ではない何かが隠されて
いる曲にも思える。今日の日から始まる、彼とポンジーとも言えそうだ。

途中、車の窓から下校中のランドセルをしょった女の子がふたり、何かのふりつ
けをしながら遊んでいる光景をふっと見た。そしてすぐさまシャッターを切って
いた。

有明港に到着し、ふたりは手続きを済ませ、時間が少しあるので波止場に出た。
穏やかで、涼しい夕方だった。どうやら大型の台風は、彼らを暴れさせないで済
んだらしい。それさえ蹴散らしてしまう、彼ららしい始まり方だった。僕はふた
りの写真を撮る。そして、一緒に付いていきたかったなと思う。
彼らの魂を記録していくのは、今のところ自分しかいないのだ。けど今は先月か
ら始めたばかりの写真の仕事をやる。この東京で。

神戸でまた会いましょう。船ん中に、おネエちゃんいるといいっすね。

おう、ごくろうだったな、ゆうすけ。カヤさんはいつものようにシャイだ。ポン
ジーとハグをして再会を誓う。そして2人は車に乗り込んで、船の中へと入って
いった。

僕は遠くにあるゆりかもめの駅へ歩いた。そしてカヤさんが松戸のスーパーマー
ケットで選んだ、ふたつのリンゴについて考えた。朝食として食べるのか、皮を
剥いて食べるのか、まるかじりにするのか。夜空のもとで大海原を目前にし食べ
るのか。いずれにせよ、僕も帰りにリンゴをひとつ、じっくり選んで買ってみよ
う、そう思った。


#0775-04-07 /  Kaya’s Wagon

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#0776






#0776-04-07 /  Three Apples

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#0777






Diary  2004.0701

27th Birthday


4


僕は誰もいない工業用道路をひとりで歩き始めた。
あたりの空間は徐々に藍色に染まり、後ろを振り返ると満月に近い月が浮かんで
いた。僕が3月に湘南海岸で見た満月。その後1ヶ月ほど沖縄で旅をして、帰っ
てきた日も、僕を包み込んでくれたのはやはり満月だった。
26歳の僕は、どうやらその月によって守られていたようだった。それを教えて
くれた人も、カヤさんのツアーで知り合うことができたんだ。

昨日の誕生日は最高だった。カヤさんは、こんな野郎共といるなんて、おまえ間
違ってるぞ。少しはポンジーを見習え。と茶化した。僕は自分の誕生日を、例え
ば誰か特定の女性と過ごせるだけの能力なんて、あまり持ち合わせていないのだ。
また、そういう努力をしようだなんて思わないで、どうやらここまで生きてきた
みたいだった。けどそんなことは知らない。この2人と共にその時を過ごせたこ
とが、とにかく最高だった。

僕は幼少期を新潟で過ごした。そしてカヤさんと同じく神奈川で育った。だから
去年、カヤさんと出会うことができた新潟でのライブを、僕は一生忘れないだろ
う。そこにあったものは、僕にとっては音楽以上のものだったのだから。
シャッターを切るのもためらわれた特殊な空間。今まで聴いてきた音楽なんて一
掃されてしまう、しびれた時間だった。

その新潟での2日間、僕は放心した。そしてそこから僕という人間は、何かを知
るために何かを捨て、何かを決断してきた、という気がするのだ。

そんなことを思いながら、その月が照らし出す方向へ歩いた。駐車された大型ト
ラック、沈みゆく夕陽、お台場の観覧車。心地よく疲れた身体で、ただぼんやり
と前へ進んだ。
そろそろ彼らの乗った船が出港する気がしたので、僕はやはりなんとなく立ち止
まり、手に持っていたカメラを強く握り直す。そしてカヤさんのギターを頭の中
で鳴らす。CDによって覚えた音ではなく、ライブで感じた音を、そのままに。

僕にカヤさんという存在を教えてくれた、沖縄に住む湘南高校時代の友人、ダイ
スケのことを思った。僕らを容赦なく囲んだ海の音。今、夏を叫び始めた太陽の
花。すべてが無意味だと思って生きてきたあの頃も、今ここにいる仲間のことを
思えば、全てが自然に繋がっていることに気付く。

感じる心に従って、共に歩んでいくこと。

これからの僕らが求めるものこそが、僕ら自身となり、そして多くの心に届くこ
とを、どうやら願わないわけにはいかないのだ。だからこそ僕らはこうして、ど
こかにいこうとしているのだ。
静寂を照らす月。いつか見ただろう藍色の空。その最高の音楽と共に、27歳に
なったばかりの僕は、また歩き始めた。


#0777-04-07 /  Sun Flower Ferris Wheel

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#0778



Diary 2004.0701

27th Birthday


5


埠頭から北へ歩いた僕は、やがてゆりかもめの駅を見つけた。それに乗るのは初
めてだった。
そういえば、昨日の取材の仕事を終えてから、僕はいったい何回電車を乗り継い
だのだろう?
田園都市線、山手線、丸の内線、現像所に寄ってから、大江戸線、西武新宿線、
東村山のアパートに機材を置いて、西武多摩湖線、中央線、武蔵野線で松戸。
今日車で有明まで来て、ゆりかもめ、帰るには山手線に乗って高田馬場へ行き、
西武新宿線。僕は頭を窓にあてながら、ぼんやり考えた。
乗客たちは、ほとんどがスーツを着たサラリーマンだった。途中、僕の座る4人
席に、若い韓国人だか中国人と思われる女の子がふたり、僕の隣りに向かい合う
形で座った。
彼女たちは、それぞれ手に抱えるように大きな風船を持っていた。その風船の中
には、何かのキャラクター人形が入っているようだった。僕は眼を細めてそれが
何かを確認しようとしたが、やめた。世の中には、考えな
くていいことの方が多
いのだ。
東京タワーが遠くに綺麗に見えた。しかし僕が丁寧に写真まで撮っているという
のに彼女たちはそれに気付くわけもなく、その抱えている大きな風船のせいで、
会話すらも弾んではいなかった。
僕はやがて、そのキャラクターがどうして誰かのくだらない考えでもってその中
に閉じ込められて、ゆりかもめに初めて乗る客のひとりを失望させてしまったか
についてしばらく考えを巡らせてしまい、新橋に着いてから結局、乗らなくても
いい東海道線にまで乗るはめになってしまった。

ようやく山手線に乗り込んだはいいけれど、車内は恐ろしい人だかりだった。そ
して各駅で扉が開く度、奥の方にいる人たちは、悲しくもおそらく本日一番の爆
発力を生み出していた。つまり僕がぶらさげている一眼レフカメラなんて、おか
まいなしだった。
激しいタックルと、カメラをかばったのと、とても疲れていたせいで、僕はそい
つにフラッと身を崩された。
僕はかろうじて首を回して、いちおうその若いサラリーマンを睨みつけた。相手
もその僕に気付いて、ちょっとヤバかったかな、という顔を少し見せたわけだけ
ど、少しも詫びることなく、そのままホームに降り去ろうとした。
僕は思わず、去り際の奴のふくらはぎあたりに、蹴りをいれてやったよ。きっと
そのために、ビーチサンダルなんかを履いてきたわけだ。
車内にいる人たちは、なぜか僕のことを白い眼で見ていた。でも白いってことは
死んでいるんだと、僕なんかは思ってしまうんだけどね。
でもあの狭い人ごみの中、実に見事な後ろ回し蹴りが決まったな。あんなの初め
てだった。きっとこれも神様がくれた、1日遅れのバースデー・プレゼントだっ
たのかもしれないね。



#0778-04-07 /  Tokyo Tower

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#0779




#0779-04-10 /  A White Balloon

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#0795



 
Ogawa Kaya The Guitarist

Open the Door 



 

05  Butterfly

沖縄に着いてまだ日も浅い頃、海外からこっちに移って時間もそんなに経ってい

なかったので、気持ちにあまり余裕がなかった。

で、俺は暇がある時は街中をよく散歩するようになったんだけど、本土とはまる

で違う人々の印象に強く惹かれ始めた。

当然女性にだよ(笑)。恋する気持ちとは全く違う感情だが、映画「ひめゆりの

塔」とか、ちょっとした歴史の本とか、当然「ネーネーズ」の音楽が好きだった

のにも関係があるだろう。実際、沖縄の人々のことなんかまるで分かっていない

のに、勝手に魅力を感じていた。

ある日の午後、波の上ビーチという所で作曲をしていたら、とても美しい人を見

かけた。顔立ちからして多分沖縄の人だったと思うけど、とにかく美しかった記

憶があるな。どうでもいいけど、声はかけてないぞ(笑)。

それで、何か沖縄の女性を描くような曲を創りたくなってしまったわけさ。

突き抜けるような青い空に、蝶がゆっくりと舞っているような絵が、この時不思

議と見えた。この頃はもう秋も深まっていた頃だったけど、沖縄の空はまだまだ

高かったしね。

生意気にも沖縄の音階を使ってメロディーを作ったりしてるけど(いや実際はそ

れが何なのかなんて全く分かっていない)、これはどのみち俺みたいなギタリス

トに表現できるほど、生易しいものじゃない。

この気持ちは、ちょうど俺が黒人ブルースの音楽に向かう時の意識に似ている。

どう頑張っても、太刀打ちできねえよ…、みたいなね。

text:kaya

#0795-04-03 /  Okinawan Butterfly

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#0947



 

Ogawa Kaya The Guitarist

Open the Door 


06  Juliette 1

オースティンを訪れたのは、もちろんスティービー・レイの故郷だから。

たまたまご機嫌な外人と仲良くなって、毎晩のようにミュージッククラブへ繰り

出していた。

まあ、英語がしゃべれないといっても犬と話すわけじゃないからね。音楽が好き

な人間となら、何とか意思の疎通ぐらいはできるもんだと気付いたよ。

ここには2週間くらい居たけど、この頃には俺もずいぶんタフになっていた。

で、本来の目的地であったニューオリンズに舞い戻ることにしたのさ。そして、

ここで俺の人生をひっくり返すきっかけとなった、ある男と出逢ったんだ。

ユースホステルのロビーで、偶然チェックインが一緒だった。奴は何やら楽器の

ケースを担いで、俺もボロボロのギターケース。目が合った時に思わず2人でに

んまりしたのを覚えているなぁ。

奴の名前はカミーユ。なんだか女みたいな名前のフランス人のクラリネットプレ

イヤーで、憧れのニューオリンズジャズを体感しにはるばる渡米してきたんだ。

当時19歳だった彼もまともに英語はしゃべれず、俺たち2人で話している時は

まるで3歳児の会話みたいだったな(笑)。でも本当に不思議なんだけど、凄い

馬が合ったというか、俺たちは出かけるときはいつも一緒だった。

で、ある晩他の宿泊者たちに奴が演奏を披露してくれることになってね。皆でホ

ステルの広間に集まって、演奏を聴かせてもらったのさ。

それは、もう本当に本当に凄かった。天才ってこいつのためにある言葉だと思っ

たくらいだ。俺は音楽を演奏するのはとっくの昔に諦めていた。だが、再びこの

ニューオリンズで、音楽に恋してしまったんだよ。

それからは、ホステルの広間で奴とリハーサルの日々さ。とはいっても俺はまと

もにコードすら弾けなかったんだから、フレンチ・クウォーターの楽器屋でコー

ドブックを手に入れて、毎日必死でアームストロングや古いニューオリンズジャ

ズなんかをコピーしてた。

指なんて当然ボロボロだったけど、不思議としんどかった記憶はまるでないんだ

よなあ。とにかく奴と演奏できる喜びで一杯だったんだろう。

俺はね、断言できるけど産まれて初めて幸せな気持ちっていうのをこの時味わっ

たんだと思う。(Juliette 2 つづく

text:kaya



 

#0947-04-06 /  Martin & Co.

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